2015年9月

9月 blog

2015.09.27
☆☆☆ 10ヶ月の間 ☆☆☆

何ヶ月ぶりの更新だろうか?!
昨年10月末、一人暮らしをしていた実母が右大腿骨骨折し救急隊からの連絡で病院へ駆けつけた。。。
約一ヶ月後、無事に退院。年齢の事もあり、もしかすると車いすになるかもしれないとの事だったが、持ち前の頑張りでどうにか自力で歩けるまでに回復。
しかし、高齢者の手術・長期入院とあって体力はかなり消耗していました。

 退院後、一人暮らしの心配はあったものの、取りあえず自宅へ戻る事になった。
一人で出歩くのはまだ不安があったのでお弁当サービスを頼んだり、お隣に頼んだり。。。
けれど、それもつかの間、2~3日で高熱が出始めた。。。

 取りあえず、今まで掛り付けになっていた近くの内科へ。
すると、血液検査の結果から胆道系疾患らしいと言われ、そのまま市民病院へ行く事になた。
診察の結果は、胆管炎と言うことに。よくよく母の白目を見ると黄くなっている事に気がついた。
胆道が詰まり炎症がおきて、黄疸が出ているとの事だった。

 取りあえずこの程度の数値では入院は難しい(ベットの空きがない)と言われ我家へ連れ帰ってきた。
今までトイレが分かっていたはずなのに探し回る。同じ事を何度も聞き直す。テーブルにのせた食事が分からない。等々。。。思った他、認知症状が進んでいる事が発覚した。
一人で置いておけない。。。。
仕事もあるし、また病院へ連れて行かなくてはいけない。。。どうしよう。。。。

 結局次に病院へ行った時には、病状はもっと悪化していてそのまま入院になってしまった。(11月7日)
抗生物質を投与しても熱は下がらず1ヶ月が過ぎ、病み上がりの身体に追い討ちをかけるように病状は悪化の一途をたどった。

 塞がった胆管に管を通して胆汁を流す為にステント施術。それでも高熱が続いたまま。。。。
このまま体力が持たないかもと言われ、再度、もっと奥までステントを入れるため施術した。
病状が安定したのは、1月中旬になっていた。

 回復したと言うより、もう治療がないからと退院を促された。。。
我家へ連れて帰って来ても以前のように一人で置いておけない。
母の自宅だったらデイサービスやヘルパーが使えるけど、サービスの移管をしないと利用出来ない。
療養型の病院を探してもらっていても、なかなか条件に合った所は難しい。。。。

 そんなこんなしている内、市民病院の相談員から火曜日に受けいれてくれる病院があるから転院するように言われたのが(前日の)月曜日。結局なす術もなく翌日(1月25日)、紹介された病院へ転院した。
 病院へ転院してから老健や特養へ申し込みをする為、診断書を退院時に貰った。
そこに書いてあった母の病状は、胆管ガン局所再発・余命6ヶ月。あまりにも残酷な記載でした。

 転院した病院のベットの上で暇だと言っては折り紙をおり、
お腹が空いたと言ってはおせんべいやジュースを飲み、とても余命宣告された病人だとは思えませんでした。
 転院先の病院からも状態が良いからいつでも退院出来ると言われ、またも苦悩。。。。
我家へ連れて帰ってくる事が難しい。。。。
結局の所、病院が経営している老健に入所させてもらった。

 今までのようにお腹が空いたからと言っておせんべいやジュースを飲める環境では無くなった。
すでに季節は3月になっていた。。。
今年は桜が早そうだから、お花見に連れて行こうと外泊許可を貰って1泊2日で我家へ連れ帰ってきた。
病院から我家まで車で1時間、桜に染まった山にはしゃいで、娘の家に泊まれる事を喜んでいた。

 病院や施設では食べられない、お寿司やラーメンを食べてとても満足そうだった。
いま思えば、母が外出出来た最後だった。
写真をいっぱい撮って、元気に老健へ戻って行った。
が、翌日発熱の為、また病院へ入院する事になった。(3月30日)

 高熱・黄疸、また胆管に炎症がおこっていた。
市民病院の退院時、ドレナージはお腹に巻いて止めていただけだったが、結局そのドレナージを開通して胆汁を流す事になった。ドレナージバッグを付ける生活が始まった。
病院のトイレに行くのも一人で行かれなくなって、それからほとんど病院のベットの上だけの生活となってしまった。

 本人には病状の説明も告知もなにもしていなかったけど、母自身も何も聞こうとはしませんでした。
痛くても辛くても一言も辛いとも痛いとも言わなかった。。。

 8月3日病院のベットの上でお誕生日を迎えた。すでに余命宣告された期日は過ぎていた。
その頃から腹部に痛みがあるようで、話しかけてもあまり話さず目を閉じている事が多くなった。
先生に相談し痛み止めの貼り薬を付けてもらう事になった。意識が遠のいた。。。。

 父が他界して3年。無性に父が迎えに来ているような気がした。
父の墓参りをして、「まだもう少し迎えに来ないで」と頼んだ。。。
それから数日間胸騒ぎがした。

父の告別式をした日に、母も他界した。
やっぱり父が迎えに来ていたのだろうか。そんな気がしてならない。

 お別れする時間は沢山あったはずなのに。。。
何よりの救いは、とても安らかに眠ているようだった事。
病気にむしばまれてベットの上だけの生活をしている母に、頑張れとも良く頑張ったとも言えなかった。
きっと何も聞かなかったけど、自分の死期を知っていた気がする。
意識が遠のいてからは、お見舞いに行くのが切なかった。。。
だから、今はホッとしているのが実感です。。。

 あれから早1ヶ月。去る者日々に疎し。。。
頑張らないと。

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