昨日はヒゲダンのFAN限定オンラインライブを見ていたら、こっちを書き忘れました。
ライブを爆音量で観ていた為、乃音が挙動不審・・・!
通常テレビを見る時の音量、近くの時は25〜30位
食卓テーブルで見る時は40程度なのに、昨日は80です。
ちなみにボリュームの最高は99までです。
どんだけ大音量で観ていた事か?!
幸い、これだけの音量にしても(多分・・・?!)お隣の家の中までは聞こえないと。。。
以前、音量60にして外へ出た時は、家の側へ寄れば音が聞こえますが、少し離れて道路に出ると音は殆ど聞こえませんでした。
こんな時、立て替えて良かったと思う瞬間です。
どうも機密性が良いので、外へ音が漏れないらしい。。。
そんな事もあり、近くにいる娘が自分の家じゃなくて我が家でライブを観に来ると言う理由。
けれど、乃音が・・・
ライブを観ている間、落ち着かない様でした。
テレビを消して静かになると、やっと落ち着きました。
まぁ〜、乃音はいつも私と一緒に布団の上に乗って寝ているから、
20時過ぎにはウトウトしているけれど、寝る時間は23時ごろ。
乃音は、音・人・犬、もう少し慣れて欲しいです。(昨日は例外として)
特に人も怖がるので、今までの子にはなかった現象です。
仕事を辞めてからと言うより、有休消化を始めた3月上旬からずっと家にいる訳ですが。。。
毎日、一つ!
これを目標に今まで出来なかった事をやっています。
概ね片付け物が多いのですが、実家を解体して持ち帰った来た荷物も、両親の年金や入院した時の書類関係・・・。
長年手つけずになっていた物。母の使っていたお財布・・・
片付けようと思いつつ、片付けしたくないものの一つだったのかもしれません。
母が77歳、喜寿の祝いの時にあげた名前入りの黄色いお財布
この前年に母はスリに遭い、お財布を盗まれました。
たまたま母のお財布に小銭がたくさん入っており、目の前で擦った財布を落としたそうです。
あら、それあたしの財布!
おばちゃんのだったのか、ハイよ!
と拾って渡されたとか。。。
その話を聞いた時、
けれど極悪党だったら、名前もないのになんでおばちゃんの財布なんだ?!
と言われると思った。
そんな事があったから、翌年の母の誕生日が77歳だったから、お財布を思い付いた。
目立つように黄色(幸せの色)の名入れのお財布を注文して、大奮発して7万7千円を入れてプレゼント!
母は、とても喜んでくれた!
長生きしてくれたから、こうして親孝行させて貰い大満足だった事を思い出しました。
父が病院から介護施設に移る時の診断書。
家で衰弱して入院、その後直ぐ重症肺炎を併発して1週間ほど生死を彷徨い生還した。
肺炎が良くならず、最後の手段で先生から
「ステロイドを大量投与してみましょう。これで良くなってくれると良いのですが!」
生命力のある人だったから、まさかの3回目の復活劇をしました。
胆管癌の手術をしたばかりの母の所へは返す事が出来ず、病院から介護施設へ。
その時の血液検査と診断書
今見ると、わんこでずいぶん勉強したから、数字が何を意味しているのか直ぐにわかった。
栄養状態は悪く、最後にステロイドを大量投与しているため副腎不全になっており、腎機能も低下していた。
それでも生存できた事に意味がある事も、ちゃんと理解できた。
たかが紙切れ一枚、捨てられずに取っておいた診断書も、まだ破棄できない。。。
結局、今回も捨てられずそのまま書類庫へ迷宮入りしました。
母の財布の中には、綺麗な2千円札が入っており、亡くなる前年の年の暮れオリジンでお弁当を買い物したレシートが入っていた。一人暮らしだったからね。。。。
今更ながら、あの時仕事を辞めていたら、ここへ母と一緒に暮らせたのに。。。
色々な事を考えながら、かなりの量の紙切れを処分しました。
紙切れを捨てても両親の思い出は私の心の中にある!
父も母も看病ができて良かった! 看病したとちゃんと思えるくらい長生きしてくれてありがたかった。
きっと人間もワンコも後から、ちゃんと看病したんだと思える事が幸せなんだって実感した。
一生懸命看病した事、そう思えた事が幸せな事だったんだと思える様になった。
例えペコの様に悪性リンパ腫が発覚してわずか4ヶ月しか頑張れなかったとしても、その間一生懸命看病させてもらえた事が幸せな事だったんだと、今になってから思えた。
ポコも3年5ヶ月の間、慢性腎不全と共存しながら看病できた事、一生懸命看病したと思えた事は幸せだったね。
みんな、みんなそう思わせてくれてありがとう!