2021.01.28 信じる愛・心配な愛の違い?

今日いつも拝読しているシワ神先生のブログにこんな内容があった。
果たして自分は、どっちなのだろ・・・?

信じる愛は免疫力がアップして、心配な愛は免疫力が低下するらしい。。。
確かに元気な間はそんな事は考えた事がないけれど、病気になる事はもちろんあるし、
最初からうちの子は病気になっても大丈夫!
と思っていれば病院へ連れていく飼い主なんていないと思う。

心配は当然するものだし、それが過度か、過度じゃ無いかの違いだけれど、
そんなの当の本人には、どこまでがどんな愛なのは判断は付かない。
愛犬が病気になれば、自分でできる事をしたいと思うのは当たり前の事だし、
それが万が一、過度になったとしても、それはその子を救いたいからだ。

この信頼と心配は境目が難しい。
ただ私はポコを見送る時に思った事は一つある。
自分目線で物事を考えていないか。
もしポコだったら何を望むだろうか。
もし延命の効果があったとしても、
それが苦痛な治療だったり、本人が嫌がっていたら辞めよう。

それはペコを介護している時に強く感じた事だった。
たぶんそれは、もうここまで頑張ったから、もう頑張らなくて良いよ!
と言う思いだったのだろうか?!

その答えは、何処にもない!
あの時病院へ連れて行き、静脈点滴をしていたらまだ元気に過ごせていたのか。
それも分からない。

ただ一緒にいたい!
ずっと抱いてお利口だね!
よく頑張ったね!
と撫でていたい。

たぶんそんな心境だったに違いない。
果たしてぶなぴーを見送る時、乃音を見送る時、自分がどうなるかは分からない。
ただ治療するには、年齢もあると思う。
もう高齢になっていたら・・・、延命効果があったとしても本人に苦痛な治療は避けたい。
もし若かったら、多少苦痛があっても生命力を信じ治療をしたい。

きっとそんな思いかな。。。
今は、毎日元気に過ごせる事。

例え病気が発覚していないだけで、すでに罹患していたとしても
毎日穏やかに過ごせて、ご飯を食べられればそれだけで十分だと思う気持ち。。。
元気に過ごせる事、それが目標。

幸せって自分の考え方一つだから、
毎日何も変わらず過ごす事が退屈だと思えば、それは不幸かもしれないけれど。
今の私は、毎日何も変わらず過ごせる事は、この上ない幸せな事だと思っています。
それは、今まで一緒に過ごした子供達から教わった事。
毎日の小さな幸せを積み重ねていくと、とても愛に満たされた幸せになると思ってます。

今朝だけでブログがかけちゃったね。
今日はどんな1日になるだろう?!
朝7時半現在、乃音が食べたドライフード5gです。

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