ポコが亡くなってちょうど1ヶ月経ちました。
闘病中は毎日時間に追われ、ポコに何を出せば食べてもらえるか、
食べてもらうにはどうしたら良いか・・・・
食べる事イコール生きる事なので、1日中ポコの事を考えている事が多かったです。
ポコが亡くなって、お薬をあげる事もご飯の世話も、トイレも全て一気になくなりました。
ただ茫然とするばかりで、今自分に起きた事が良く理解出来ませんでした。
今までこんなに頑張って来たのに、これは何かの間違いでは?!
寝てるだけだよね?!
何度もそんな事を考えました。
眼が乾くとドライアイになっちゃよ。。。
緑内障の点眼をつけなくっちゃ。。。
充血を取る目薬だよ。。。
しばらく、ポコでたくさんもらってあった目薬をさしていました。
眼が輝いていると、本当にまだ生きている様・・・
目を開けて眠っている様でした。
あれから1ヶ月、もうそんなに経っちゃったのね。
自分の中でポコが亡くなった事が消化できなくて、何時も心の中で
どうして? なぜ?
ちゃんと頭では分かっているけれど、心の方で亡くなったと言う事を受け入れるまでに時間が掛かりました。
そして何時の間に時間がだけが流れて、1ヶ月経ってしまいました。
15年も一緒にいたんだもの、そう簡単に立ち直れないよね。
毎日、仕事から帰ってくるとリビングドアの前で待っていてくれました。
そして私が部屋に入ると、遅かったじゃない!
と言っている様にワンワン吠えるのが日課でした。
懐かしいね。。。
懐かしいと思う事がたくさんある、それは決して不幸ではありません。
私より少し早く神様のもとへ帰って行っただけだよね。。。
今、藤井風の「帰ろう」の曲に癒されながら過ごしています。
ポコと一緒にいた頃を重ねて、「優しく降る雨と帰ろう・・・」
この楽曲をsinfonìaと言うアカペラもとても良くて、毎日YouTubeを聴きながら過ごしています。
「待ってるからさ、帰ろう・・・」
この帰ろうと言う言葉に哀愁を感じて、ポコに話しかけている様で、
ポコ、一緒におうちに帰ろう・・・
そんな気持ちで聞いています。
10年前に家を建て直す時、庭にあった植木はほとんど抜いてもらって、垣根はフェンスに変えてもらいました。
家の周りを走れる様に、危ない低木は眼を怪我しやすいのでなくしました。
毎日、来る日も、来る日も家の周りを何周もペコとポコで追いかけっこをして走りました。
ぶなぴーが一緒に住む様になってからも、3匹で遊ぶにはちょうど良いドックガーデンでした。
ペコが居なくなり、ポコが居なくなり、追いかけっこはできなくなってしまったけれど、
きっとぶなぴーと一緒に庭を走っていると思います。
庭の花を植え替える時も何時も一緒に庭に出て、植え替えが終わるまで一緒に過ごしたね。。。
植え替えた寄せ植えの鉢の前で記念写真を撮って、そんな毎日がこの上なく大切で至福の時間でした。
きっと、きっと、まだ何処かで出会える時まで
待っているからね、きっと見つけるから、きっと見つけ出すからね。
ありがとう、何度言っても足りないほど、ありがとうだよ!